REO高等部の卒業生の保護者さまに直接お話しを伺いました。生徒さんは中学3年間ひきこもり状態でしたが、REO高等部へ入学。
はじめは会えない日々が続いたものの、最終的には意欲的に学習を進めたり、雑談を楽しんだりしながら無事にご卒業され、現在はパティシエを目指し製菓の専門学校で学ばれています。
不登校になった頃
Q.いつ頃から不登校になりましたか?
小4の冬からです。それより前に2歳下の弟が不登校になり、かかりきりの状態でした。
とにかくその時は息子を学校に戻すように動いていて。試行錯誤、右往左往しましたが、もう完全に休ませようと決めたタイミングで、しばらくして娘も行かなくなりました。ぎりぎりまで我慢していたのだと思います。それから中学3年生まで担任の先生にも会わなかったし、一日も行きませんでした。
Q.なにかきっかけはあったのでしょうか?
そのころは家の雰囲気が悪かったと思います。
夫の仕事が休みがないほど忙しく、家のことは全て私のワンオペ状態。子ども3人を必死に育てていました。
途中から義母との同居が始まり、人手が増えたことで負担は軽くなりましたが、やっぱり一日中一緒だと気をつかってイライラしてしまって。自分でもどういう状態になっているか考えられないほどイライラして、子どもにあたってしまうこともありました。育った環境から夫婦ともに「子育ては女がするもの」という古い考えもあり「大変だけど、やらないと」という緊張状態が続いていたと思います。夫婦ケンカはなかったけど、本音を言い合えるわけでもなかった。
Q.当時のお悩みやお気持ちを教えてください。
何が起きているのかが分からなかったですね。今冷静になれば色々な角度から見ることができますが、当時は、毎日毎日、何がどうなっているのか分からなかった。その当時本人も言ってましたが、少し休めばまたすぐ行けるものだとも思っていました。弟と2人不登校になり、家の中は火が消えたように沈んだ空気が漂っていました。ネットで調べたり、友人に相談しても自分が納得できる答えには至らず、真っ暗な長いトンネルの中をどっちに進んでいいのかさえ分からない状態でした。
Q.当時のお子さまのご様子はいかがでしたか?
娘は部屋のカーテンを閉め切ってすぐに昼夜逆転したので、みんなが寝る頃に起きてきました。冷蔵庫にメニューを書いて用意しておくと夜中に一回目の食事をとり、私が朝起きると、リビングのパソコンの前に一晩中座っている日々が続きました。話もあまりできなかったので、なにか学校でいやなことがあったのかを聞くこともできませんでした。聞くことで掘り返してしまう気がしたので、あえてこちらからは聞かなかったです。夜に用意した食事が朝になっても残っていたり、何時間も姿を見なかったりすると生きているのかなと心配で、子ども部屋のドアの前で「音だけ鳴らして」と伝えると、娘はベッドをコンコンと鳴らして「生きてるよ」みたいな状態でした。とにかくよく寝ていました。
ひとつ失敗したなと思ったことがあって。中学に入った頃、スマホが欲しいと言われたけど、私は詳しく話も聞かず「家にいるのに要らないでしょ」と即拒否してしまったんです。結局中3の時に買い与えたのですが、もっと早く買っておけば、ドア越しの会話ではなく LINEでもっとコミュニケーションが取れていたかも。
中学3年間は引きこもりが続き、時々入るお風呂は2時間かかり、たまに外出しても疲れ切ってしまって、2か月こもるような日々でした。
でも家の中ではいろいろやっていましたね。ゲームはもちろん、ジグソーパズルの2000~3000ピースを何個も作ったり、他にも消しゴムハンコ作りにはまって、家族の誕生日や母の日にかわいいカードを作ってくれたりしました。集中力と最後までやり遂げる力があることは小さな希望でもありましたね。

REOとの出会い
Q.どのようなきっかけでREOと出会われたのでしょうか?
はじめは息子が行けなくなったころに教育雑誌で阿部さんをみかけて、横浜は遠いし通えないと思っていましたが、その後『「不登校」は天才の卵』の本をネットで見つけて買って読んでから、阿部さんの情報をちょこちょこチェックしていました。
それからだいぶ経って娘が中3の1月、ずっと不登校状態だったので高校どうしようって切羽詰まったときに、公式LINEで無料相談のバナーを見つけて相談したのがきっかけです。すごく光が差した感じがしました。
Q.ご入学に至った経緯や理由を教えてください。
夫と一緒に阿部さんに会いに横浜へ行って、REO高等部のことを聞きました。「ここに入るしかないよね」っていう感じで。高校の手続きも中学の卒業式が終わってから私がやりました。小学生から行っていないので、小学生がいきなり高校生になるみたいな感じで、本人の気持ちは全然追いついていなかったと思います。高校の説明をしても反応があまりなかったです。
Q.ご入学当初のお子さまのご様子や心配事を教えてください。
そういう状態だったので、勉強を全然進められませんでした。REO の先生が家庭教師として来てくださいましたが、会うことは出来なくて。高校に入ってからもずっと社会と断絶している感じでした。
Q.そういった状況のなかでREOを続けていただいた理由はございますか?
ここしかなかったですね。家庭教師が始まった日、部屋からも出てこなくて予想通りでしたが、やっぱり無理かと気落ちしてしまって。そうしたら阿部さんから直接「本人には伝わっていますから、焦らなくて大丈夫ですよ」とLINEをいただいて。すごく心強かったです。
その後もずっと先生とは会えなかったですが、声をかけたり手紙を書いてくれたり、また動画を送ってくれたりして本人とゆるいつながりをもってくれました。本人が直接先生と話せたのは高校2年になってからでした。その間「絶対ここは繋がってなきゃいけない」と思って、代わりに私がお話ししていました。いつか娘と繋がったときのために、こういう子だっていうのを分かっていてもらいたいと思ってその日の出来事などをお伝えしていました。

回復に向かって
Q.お子さまの回復を感じたエピソードがあれば教えてください。
高校のレポートを始めたのが高校2年の5月ごろ、REOの先生と会えたのが2年生の秋でした。REOの授業に出る少し前にアルバイトをしてみたいと言い出したんです。
隣駅のドラッグストアに自分から応募しました。ただ履歴書を書く頃から雲行きが怪しくなって面接には行けなかったんですけど。それが社会と繋がろうとした一歩だったのかなと思います。REOの先生に初めてお会いできたのもその後からでした。その頃は家庭教師からオンライン授業に移行していたので、私が画面の真ん中に、本人は端っこに映るかたちでした。
Q.授業に出られるようになってからお子さまの様子に変化はありましたか?
生活リズムはやっぱり夜型でしたけど、それまで私と一緒にやっていたレポートを先生と進めるようになりました。
少し具合が悪いときもありましたけど、2年生のうちに、1,2年の単位を取って、3年生は高校の進度に沿って順調にやっていました。3年生の時に「もっと勉強したい」と言って、英語と数ⅡBを追加で見てもらって、理解力がいいと褒めていただいて勉強にも前向きになったと思います。
進路についての思い
Q.進路選択で悩んだことやお気持ちの変化を教えてください。
3年生の7月に先生と進路面談をしました。その時は私もまだ明確に聞いていなかったので、「専門学校を考えている」と娘が答えたのを聞いて、「あ、そうなんだ」という感じでしたね。
家から通える範囲が良いと言うので、色々資料請求をすると、毎週のように学校から資料が届きましたが本人は一切目を通さず、今年は入学は無理なのかなとも思いました。製菓の専門学校の資料をみて、私だけ保護者説明会に行って話を聞いてきて。それから1ヶ月ほど経って、本人が言ってみたいと言いだし、そこから同じところのオープンキャンパスに3回参加しました。「同年代の人に囲まれたのは小学校以来だわ」と言いながら楽しかったようです。
Q.製菓の道に進むと決めた理由はあったのでしょうか。
学校に行けなくなってからも誕生日のプレゼントとバレンタインのときに必ず来てくれる親友がいたんです。娘は昼間寝ていて会えなかったけど、それでもずっと途切れずに来てくれていて。「ありがたいね。大切にしようね」と話していました。
コロナ禍が明けたバレンタインに、親友にクッキーを作りたいと、6種類も作りました。年明けから何回も試作して、私たちも何度も食べて、納得のいくものを作っていましたね。パッケージのデザインも自分で考えて、お菓子のイラストを描いた説明のカードも付けて。そうやって作ったクッキーをお友達がすごく喜んでくれたのが、お菓子作りの道を目指すポイントになったみたいです。

現在のご様子
Q.8年ぶりの通学、現在のご様子はいかがですか?
初めての電車通学なので、最初はもうぶるぶるして大変でした。電車の乗ってからもぶるぶるみたいなスタンプが送られてきたり、お腹痛いとか、頭痛の日もありました。梅雨の時期になって、だるさとか、疲れたうつろな目で帰ってくる日もあって、「もう続かないかもしれないな」「まあだめでもそれはしょうがない」と思う日もありましたが、本人は「たいへんだけど、今ここでやめたら、また辛い日々に戻るのが嫌だから、がんばる」と気持ちはしっかり持っているようです。
Q.現在はアルバイトもしているとお聞きしました。
4月末からケーキ屋さんで初めてのアルバイトを始めました。ある金曜日、一週間がんばったご褒美のケーキを買いに行ったほぼ初めてのお店でしたが、アルバイト募集中だと知ると迷うことなく自分から話をして、次の日に面接に行きました。毎週土曜日、9時~19時まで働いています。バイトというより修行です。一度体調不良でお休みした以外は休まず働いています。お給料をもらえることが嬉しいみたいで、おこづかい帳をつけながら、学校のお友達とケーキを食べに出かけたりもしています。新しいお友達もできたんですよ。
日曜日には自動車教習所にも通っているので休みがないくらいです。
それからもうひとつ。中学校区単位開催の成人式に親友と出席する約束をして振袖を頼んできました。中学に一日も行ってないのに、今の自分に自信が持てたのだと思います。以前の姿からは見違えるように世界が広がって、驚いています。
REOのご感想
Q.REOスタッフにはどんな印象を持たれましたか?
優しくて、無理を言わず、「体調悪い時は無理しないで」とか、授業でも沢山褒めていただいて嬉しかったと思います。スタッフの方の中には「自分も不登校経験者です」という方もいらして、そこはすごく親近感を覚えます。専門学校の入学願書も一緒に考えてくださいました。願書も締切ギリギリに滑り込む感じでしたが、それでも一緒に伴走してくださってお世話になりました。
Q.REOのご感想をお聞かせください。
長い間お世話になっているので、すごく安心感があります。阿部さんがおっしゃるように、ここにいれば「不登校でも大丈夫」って本当だなと思います。阿部さんが不登校は心のケガだと言われますが、ケガが治るまでは無理して動いてはいけないっていうのが長い時間はかかりましたが、娘を通して今だから分かります。
さいごに
Q.いま、不登校のことや進路のことで悩まれている方へメッセージをお願いします。
渦中にいると、本当に苦しいし大変なんですけど、子どもを信じることだと思います。格好よく聞こえますが、専門学校に通い始めた娘の姿に心配で、本人には言えないけど「大丈夫かな?適応障害かな?うつかな?」と今は高2になった息子に話すと、息子から「もっと自分の子どもを信じていいんじゃない?」って言われたんです。ハッとしました。心配が進む道の邪魔になってはいけない。何も言わずに見守ろうと。
親といっても子どもと同じ年の分しか親をやっていないので、親も子どもと一緒に成長するのだと思います。
私自身もこの経験が無かったら、自分の人生や色々なことを掘り下げないままスラーっと行ってしまっただろうなと。不登校は苦しいし経験しなくて良いなら避けたいほど辛いこと。でも心の根っこの部分のエネルギーを蓄える大事な時間だったのだと、今がんばっている娘の姿を見るとそう思えます。阿部さんがセミナーの終わりに「桜梅桃李」の話をされますが、通るルートが他の人と少し違っただけで、娘の花は咲きだしたと思います。
渦中は本当に苦しい、苦しいけど、だから信じてあげてほしいです。
担当スタッフからのコメント
生徒さんとは、お会いできない期間が長く続きました。ですがその間も、毎週必ずオンラインを繋げて、お母さまとお話をする時間をとったことも良かったのではないかと思います。
初めはオンラインの時間になると急いで自室に戻ってしまっていた生徒さんが、だんだんオンラインの時間になってもお母さまと同じお部屋にいる時間が出来たりなど、少しずつですが、生徒さんにも安心感を伝えられたとのではないかと思います。
生徒さんと初めて、個人的にやり取りをしたのはお手紙でした。
便せんや封筒を選んで、スタッフの自己紹介などを書いて、こちらも緊張しながらお手紙をお送りしたのを覚えています。初めの何回かのお手紙は、生徒さんのお気持ちがまだそこまでいかず、読んでいたでいただけていないものもあったようです。
初めて読んでもらえたのは、お誕生日に送った、可愛くデコレーションされたプレゼント用便せんでした。お母さまのお話からも、お菓子作りが好きなこと、かわいらしいものが好きなことをお聞きしていたので、ケーキの形をした可愛いものを選びました。翌週に、お母さまから読んでもらえたと聞いて、とても嬉しかったです。
そこからの回復は小さな波はあるものの概ね順調で、勉強もしっかりと、また進路についてのお話しもしっかりと話すことができました。とても努力家の生徒さんなので、きっと素敵なパティシエさんになると思います。